普段デザイン等の制作をする時には、完成形をイメージしながら、ゴールを目指して、何をどのように進めていくのかを考えておく。その上で、コンセプトやルール等と共に作業にあたる。これらは作業に入る前に考えておかなければいけない事だ。
なんとなく作っていたらこんなのが出来ましたという訳にはいかない。偶然の産物というのもあるが、毎回必ず起こる事ではない。
しかし、今回の本の執筆は、まさにそんな状態から始まった。執筆当初は多忙なのもあり、十分な時間を取る事が出来なかった。おおよその輪郭はあったものの、詳細なイメージが出来ていないままに、書きながら流れを掴んで行く所から始まったのだ。
元々執筆をするなんていうことは夢の片隅にしか思っていなかった。もちろん。初めての事なので右も左も分からない状態。それでも、最初から自分のスタイルに当てはめればよかったのだが、本を執筆する事を特別視してしまった部分もある。分からない事からの重圧も感じていた。気負いしていた部分もあるだろう。
私が執筆をしているのは、解説書のようなものだ。参考に頂いた献本をみながら、執筆を始めた。ある意味、執筆当初はこの献本が、私の完成形のような形で進んでいったのだ。
すると、少し書いている内に、何か違和感を覚えた。それが何だったのかは今となってはわからないが、何かが違う。何かモヤモヤする。人のやり方で書いていたからだろうか。とにかくしっくりこなかった。ここから暗中模索の旅が始まったのだ。
このままではいけないと思い、私は一度筆を置き(作業はパソコンだが)少し時間をおいて考えてみた。
すると、『自分なりの』と言うキーワードが頭に浮かんだ。自分の言葉で書けば良いのかという感じだ。自分の言葉で、自分の思うままに。私が頼まれた本なのだから。
実際にそれで書いていったのだが、これも何か違う。少し書いてみたが、独り善がりの実用書のようになってしまった。わかりやすい説明でなければいけないのに、エモーショナルな表現というか熱を入れすぎてしまった。文学的になってしまったとも言える。
これは、まったくもって勘違いだと今では思う。本を書くと言うことが小説に結びついてしまっていたのもあるのだろうか、そもそも私は小説を書いて、芥川賞を目指しているわけではない。というか、文章を書くのは好きだが、得意ではないので、そっちの分野には行きたくてもいけないと思う。しかし、私の髪型は芥川賞の某作家のような感じだが。
少々話しがそれてしまって申し訳ない。
その事を反省し(髪型の事ではない)どうしたら良いのか今一度考えた時に、説明書のようなイメージが浮かんだ。分かりやすく、徹底的に冷静に事務的に。先ほどとは正反対の方向に振り切ったのだ。
この方法は、形としては良く書けたと思うのだが、これでは誰が書いても良いんじゃないか。そんな事を感じた。私が書く意味があるのだろうか。
そもそも何故私が書いているのだろうか。私の本なのか、頼まれているから書いているのか。目的や心の置き場をどこにすれば良いのかもわからなくなってしまった混乱の時期である。
そうこうして試行錯誤の末に辿り着いたのが、気持ち、感情的には熱く。言葉は冷静に。この2つを合わせた結果が一番しっくり来た。そして実際にこのイメージで書いてみると文章としても内容としても、だいぶ良くなってきたのだ。
ついに、私の執筆スタイルが確定したとも言えるだろう。本来であれば、このスタイルを最初から持っていなければならなかったと思っている。
スタイルが決まったと時同じくして、もう、私が書いている理由等はどうでもよくなったのだ。一番邪魔だったのは私が執筆している理由だったのではないかと今では思っている。はっきり言ってしまえばそんな事はどうでも良かったのだ。求められている所を間違って受け止めていたのかもしれない。私が執筆を頼まれたという傲りもどこかにあったのだろう。しかし、これ以降はそんな気持ちは一切消えて行った。
この辺りから、とにかく、読んでもらえる人の立場になり、分からないであろう事への徹底にも繋がっていったのだ。そして、一つの章を書き終えてみて、編集者に送ってみた。
これだけ考えて全然駄目だったらどうしようか。その時は執筆を断念しようか。とも思ったが、好意的な返事だったので安心した。ここから私の執筆スピードは上がってきた。
ただ、気持ちの部分で熱くなりすぎて行き過ぎる事があるので、ここは少し調整が必要だと感じたので、微調整をしながらまた書き進めていこうと思っている。
遠回りをしてしまった感はあるが、だからこそ見えた景色もあったので、これはこれで私の財産にしていこう。そして、それを形に表した物が誰かの救いになれば嬉しく思う。